生きるのって大変~障がい者枠で働いてます~

発達障害に殺されないで生きる方法模索中

最近気づいたこと「別に好かれなくても生きていけるじゃん」(2021/8/28)

 

障害者雇用で働きだしてそろそろ5か月になる。就職前は「人が怖い」と漠然とおびえていたけど「別に怖がる必要なくね」と思い始めたことについて。現在の話をする前にまず対人恐怖がひどかった時の話をしようと思う。

 

過去:人が怖い、人と関わりたくないと思うまで

      中学生くらいから他人とのコミュニケーションに苦手意識を持ち始めた。中学に上がり友達が欲しくなった私はとにかく相手に気いられようと努力した。友達の作り方がよくわからなかったため、とにかく相手にとっていい人になろうとした。都合のいいやさしい人間であろうとした私は、常に他人の評価を気にして気にしまくる学生時代を過ごすことになった。めっちゃしんどかった。

  少しでも相手の機嫌が悪いと私に不手際があったのではないかと気に病む。すこしでも相手の態度がいつもと違うと嫌われたのではと落ち込む。いつも100%好かれていなくてはいけない。そう思って過ごした。

       自意識過剰で他人の評価を気にし続け、疲れてしまった私は「人と関わりたくない」「人から品定めされている気がする」「どう思われているのか怖い」「人と関わりたくない」と思うようになった。

 

相手に好かれないといけないという思い込み

最近気づいたのだが、この「相手から100%好かれなきゃ」思想って私の親に対する考え方と一緒だな、と。

うちの家庭はなかなかに崩壊しており、私が小学校高学年~高校にかけてが一番の暗黒時代だった。父親の機嫌がコロコロ変わる、昨日は肯定したことを今日は否定される(昨日は「エアコン点けろよ」と言われたが今日は「贅沢だから消せ」と言われる)、DVが横行しているといった、どきはらテーマパーク。とにかく家にいて安心でき無かった。

父親のリーサルウェポンが「出ていけ」だったのもあり(実際に掴まれて締め出されたこともある)殴り返す度胸のない私は、とにかく父親の機嫌が悪くならないように顔色を伺う癖がついた。全く役に立たんスキルだな…

 

家での生存戦略を全ての人間関係に当てはめてしまっていた

中学時代、友達がいない、家族以外のコミュニティーに属していなかった私は、対人コミュニケーションにおいては人に好かれなくてはいけないという誤った認識を無意識に身に付けてしまったのだと思う。

「人に迎合する」はあくまで子供時代の家庭内生存戦略であり、人間関係すべてに当てはまりはしない。職場の人の機嫌が悪かろうと、友人に嫌われようと何も実害はないのだ。他人に嫌われても命や生活を脅かされることなんてありはしない。私は賢くないのでこのことに長いこと気づかなかった。

 

 

現在:人って思ってたより怖くなかった

職場の人たちは本当に大人だ。業務上のやり取りはあれど互いのプライベートについて詮索したりはしない。あっさりした関係だけど挨拶お礼はちゃんとする。誰かがミスしても責めたりしない、いやなことがあったら慰め合うといった感じで心が健康な人が多い職場だ。なので恐れていたようなモンスターがいなくて今のところ職場はすんごく居心地がいい。悪意のある人間がいるのだろうと想定して肩ひじ張って仕事を始めたが、実際そんな人間はひとりもおらず、他人って優しいなって他人と毎日関わるようになってしみじみそう思う。怖がっていた時の想像と実際の現実は全くもって違ったものだった。